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大和道

古流柔術を実用的に体系化した大和道 !

佐藤柔心齋

私の父、佐藤金兵衛 翁は、柔術入門(ベースボールマガジン社)で、次のように柔術について述べています。「古人は、“離れては拳退(拳法)を用い、近づけば肘膝、当身を用いる。接近しては逆技、逆投げ、締め技を用いよ”と教えている。この柔術の緒技の有機的結合、投げも、逆も当身も締めも、次々と変化してついに生きぬくのが私の武術研究の念願である」と。

父は、父の祖父佐藤倉治(大和流弓術十一代でいわき藩の元指南役、腰塚小弥吉の門に弟子入りし、十二代を継承)に教えを受けて十三代を継いだ後、緒流派の門に弟子入りし、免許皆伝を得、さらに稽古、研究を続け、大和道を創始し、そこにはこの思いが込められています。

父が、古流柔術の素晴らしい技法の数々を共通の原則に従って分類し、短期間に修得しやすく体系化し、実用的に整理統合し、創始したのが大和道です。技法を、捕られた手をはずす手解き、またこれを逆に掴み返して技を施す取返しに始まって、相手の重心を崩す投げ技、関節を痛める逆捕、逆に捻って投げる逆投げ、ツボに当てる当身、首締め、居捕等に分類し、(他に対武器、武器法)それを更に片手、両手、諸手、袖、胸、締め、打ち込み等の順にして技を体得しやすく構築されています。

また、大和道には独特な攻防の連続技があります。これは攻防の訓練方法として構築された稽古法で、連続した技の流れの中に初伝から奥義をまでが含まれ、変化する状況の中で対応しうる実用的な技の秘伝が隠されています。これは技術の応用、展開が早く身につくようになることを促すためで、父の言う“一技万用”に通じる道でもあります。

大和道はこのように古流柔術の粋を集約し、体系化した武道であり、攻防の連続技は極めて現代的で実用性のあるものといえます。私どもが父から受け継いだこの大和道をさらに実戦性を磨き発展させてゆきたいと思います。

手解き5ケ条の解説

手解きとは:

手解き(てほどき)と言うのは敵に自分の手をつかまれた際にこれを振りほどく技です。これは柔術で最初に学ぶ技で、昔から芸道の初歩を学ぶことを手解きを受けるといいますが、これはこの言葉に由来しています。

昔、武士が大小の刀を帯していた時代には相手が刀を抜く事ができなくするために先ず、相手の両手を掴んで制したのです。この際お互いに対等の力であれば、手を脱するには相当の困難が伴いますが、この手解きさえ解っていれば、相手がいかに大力無双であろうとも必ずや脱することができるのです。

手解きは力を必要としないので、力の弱い女性や子供や年配の人でもつかまれた手を自ら解き、逃げることができ、更に相手を傷つけずに捕まえることができるので、今のような時代に実践的な技であるといえるでしょう。

さて、今回ここで公開する手解き5ケ条は、天神真楊流柔術をもとに、故佐藤金兵衛翁が独自に編成した連続技で構成され、振解き、引き解き、逆捕などの基本を簡単に学ぶことができるように工夫されています。手解きは指を開いて行うことがポイントです。

第一ケ條 明星(みょうじょう)
受(右)両手で捕の両手を掴む、捕(左)両手の指を伸し、急に後方に引くと同時に膝をあげる。 受(右) 前のめりとなり膝が下腹部の明星に当身となる。

 

第二ケ條 霞(かすみ)
受(右) 両手で捕の両手を掴む。捕(左)右足を少し前に踏み出すと同時に受の両目の間に肘を向け、右手刀で霞(耳の前の所)を打つ。

第三ケ條 振解き(ふりほどき)
受(左) 前條に続いて捕の霞を当てる右手を左手で下から受け止める。
注:第二ケ條と受が入れ替わっている
捕(右) 右手首で拇指を押さえるようにして引き下げれば抜ける。
注:第二ケ條と受が入れ替わっている。

 

第四ケ條 取返し(とりかえし)
受(右) 右手にて捕の左手首を掴む。捕(左) 左手を下より上方に向け上げ拇指と示指の間に受の右手首を挟むように握り返す。

第五ケ條 脇固(わきがため)
捕(左) 前條のように受の右手を左手にて取返し、直ちに受の右肘を捕の左脇に掻込み、逆となす。この時右手にて受の右手首を逆にする。

大東流合気柔術

大東流合気柔術は、甲斐源氏武田家の祖、新羅三郎義光を術の始祖とあがめ、中興の祖武田惣角先生によって完成されたそうです。伝書や技法の内容から見ると、古くから秘法があって、それに武田惣角 先生が全国を武者修業してあるいて、その間にいろいろの技 を吸収し、工夫を加えて大成したものだそうです。柔術のほかに剣術も学び二刀流、小野派一刀流で、剣の方でも一方の雄であったといわれています。

武田惣角 翁  

大東流合気柔術の手数について、二 千八百八十四手裏表といわれていますが、免状にはそのような事はのっていません。目録 によれば、百十八カ条:合気之術 裏表 五十三カ条、秘伝奥義 裏表 三十六カ条、合気二刀流、御信 用之手 八十四カ条上中下、解釈総伝 四百七十七、があり、三千手はおろか一千手にもなっていないのです。

山本角義先生から佐藤金兵衛翁への免状

さて、武田惣角 先生の最後の死水を青森の伊東方でとったのが、最後の弟子、山本角義 先生です。山本先生は本名を留吉 といい、武田惣角源正義の角と義の二字を惣角先生から頂いて角義と名のりました。現在、武田惣角 先生の門人は、日本全国三万余名に及ぶといわれています。

浅山一伝流体術

浅山一伝流は浅山三五郎一伝が諸流を学び、当身と逆手を専らとして創流したといわ れています。各地に伝系があり、いずれも特徴があり、会津藩のお留流だったともいわれ、会津藩に伝わった大東流合気柔術に一伝流と同じ形が数多くあるそうです。

父は、浅山一伝流は十六代上野貴 先生に習ったといいます。昭和二十九年十二月に十七代の継承を伝授されています。逆手柔術のほか、挫術という一尺二寸と八寸の木の短棒を用いて逆手を取る珍しい手があるそうです。素手の柔術から習い、鉄扇術にも応用ができるそうです。

上野先生からは、その他に、天心流、卜伝流なども習い、父の学んだ武術と交換教授をよくされたそうです。上野先生を奈良におられた古武道の大家 高松寿嗣 先生に紹介されたそうです。それが縁となって、いま忍者ブームを巻き起こしている野田市の初見良昭氏は、はじめ上野先生に入門して習い、後になって、父が紹介した高松寿嗣先生のところへ行って習い、戸隠れ流忍法宗家と称するようになったそうです。なお、上野先生は既 に、千葉県船橋市でなくなられ、その後を嗣いだ神長成佳氏および小林峰捷氏が現在活躍中だそうです。浅山一伝流については、綿谷雪 先生と山田忠史氏が詳しい考証を「武芸流派大事典」でされているそうです。


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