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柳生心眼流 兵術

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写真解説:
 柳生心眼流は江戸時代に創設された日本古流の武術であり、合戦の最中に刀、槍等の武器がつき、それでも敵を倒さなければ自らの命が危険にさらされる極限の状況において、徒手空拳で鎧を付けた敵を倒すために編み出された秘伝の武術です。この写真は、昭和35年11月2日、佐藤金兵衛 翁が鎧をつけて高弟の佐藤茂 氏と明治神宮にての奉納演武でのものです。柳生心眼流が創設された往年の当時をしのび、その技の実用性を生で見、肌で感じてもらうための一葉です。当道場では以来、約60年間、毎年、11月初旬、明治神宮へ、柳生心眼流を奉納演武しています。

佐藤柔心斎:

 柳生心眼流の最も大事なポイントの一つが気迫です。柳生心眼流の奥伝印可の中でも「掛け声」は稽古中から発することの大切さを説いています。掛け声は、敵に対して鋭気を取り挫くものであり、また自分の活気を引き起こし、鋭くする効用があると記しています。佐藤金兵衛 翁は掛け声を発するには腹の底から出し、稽古中から本番さながらの気迫を持って、自分にも敵にも立ち向かう強い力を養うことだといっていました。

 当道場でも初心者の時から掛け声を発する稽古を行ってますが、いざ声を出そうとしてもなかなかうまく声が出せない。私も佐藤金兵衛 翁の気迫に圧され、たじたじになってしまったものです。でも、稽古しているうちに次第に腹から掛け声が発せられるようになると、自然と腹に力が入り、全身に力と活気が漲ってくるのがわかります。現代はストレス社会でもあるので、掛け声を腹から発することが心の発散にも繋がってきます。自分に元気が出ないときに、大きな声で叫んで発散させた経験をもっている人も多いと思います。

 また、今の日本は治安も悪くなり、時に小さな子供や女性、老人が狙われやすい時代です。この掛け声は、自分が襲われたときに腹から出る大きな声に暴漢もたじろき、恐怖で固まってしまった身体にも一瞬の活気を取り戻し、敵から逃れるチャンスを生み出してくれるかもしれないからです。

 柳生心眼流の稽古時には初めから腹から掛け声を出して稽古することです。

甲冑基礎知識:http://www.katchu.com/html/2000.htmlを参照
 「甲冑」とは『日本書紀』に散見される鎧・兜(よろい・かぶと)を意とする言葉です。これを作る職人を「甲冑師」・「鎧師」と呼びます。甲冑の構成要素は鎧と兜です。鎧については、甲冑は小札、金具廻り、金物、革所、威毛と呼ばれる五つの部分から構成されています。そこには鉄工、漆芸、彫金、韋染め、組紐などの伝統的な工芸技術がふんだんに駆使されています。兜については、戦闘に際して頭部から首廻りを保護するために頭に被るものを兜と呼ばれています。上古のものには冑と書き、中・近世のものには兜と書きますが、いずれも「かぶと」と読みます。兜は鉢とシコロと呼ばれる二つの部分から構成されています。これに装飾のための立物・付物が付加します。


柳生心眼流兵術について

 柳生心眼流は竹永隼人(十八世紀頃)からはじまるといわれています。竹永隼人 は仙台の生まれで、いろいろな流儀を学んだ後に江戸に上り、柳生但馬守のところで内門人として働きながら三年修業して帰国し、自らの工夫を加えて柳生心眼流と号して有志に教えたといわれています(星勝雄氏の詳細な研究があります)。佐藤金兵衛 翁はその系統をひく星貞吉(1821~1898)の流れを組んでいます。星貞吉は宮城県栗原郡新田村に生ま れ、若くして郷里の佐竹勇三郎や佐沼の相沢道場で学んだ後、各地方を訪れて研究し、出羽の処士、加藤権蔵に学んで心眼流の宗を得たといいます。いろいろと修業し研究を加え、心眼流の基礎を大成させ、多くの門人を養成し、心眼流中興の祖と仰がれています。

佐藤金兵衛 翁へ の系図は、
星貞吉、高橋彦吉、鈴木兵吉、鈴木専作、佐藤金兵衛
星貞吉、高橋彦吉、加藤彦吉、鈴木専作、佐藤金兵衛

とながれ、現在、佐藤金兵衛 翁から佐藤茂、只野正孝、小町幹夫、山田実、地曳秀峰、出井朗夫、森田剛、伊藤秀賢、鬼沢善助、国井正、臼井真琴、石井敏、高橋伸司、堀米秀夫、佐藤敏行、鈴木等、島孝重、桑山弘誓、加藤聡(順不動) へとつがれています。 

 柳生心眼流は現在、宮城県登米郡迫町新田の、星精一氏を中心に宮城県北一帯に広く行われています。仙台では佐藤金兵衛 門下の只野正孝 師範が佐藤茂 師範の後見のもとに後進の指導にあたり、中国拳法もあわせて教伝しています。同じく仙台近郊の多賀城市には、鈴木等 師範の後見のもとに東海林、庄子、宮城の各師範が武道館を 中心にその普及を行っています。東京では、佐藤金兵衛 翁が昭和三十三年上京してから、教伝を開始 し、日本古武道と診療のかたわら中国拳法とともに修業しています。心眼流の振りは必須科目として中国拳法専修者の全員に必ず行わせています。佐藤金兵衛 翁が柳生心眼流の免許皆伝を得たのは昭和二十四年八月のことで、動乱の中国大陸より帰国して間もなくのことだそうです。佐藤金兵衛 翁がいうには柳生心眼流は他流の柔術と全く面目を異にし、野戦の実用の法であるとのことです。殺気満々として見敵必殺、猛烈な気魄で圧倒震駭し去るほどだといいます。 このような勇壮活発な流儀は他にその比を見ないものであり、往時の勇者の野戦往来を目のあたりに見る思いがするといいます。「素振り三年刃の如し」、と云われる振り打ちは、年を経るに従って妙味を増し、一打ちで敵の腕をも砕くことができるとのことです。

柳生心眼流兵術のすすめ

 柳生心眼流兵術は佐藤金兵衛 翁が最も好んだ武道の一つであり、当道場では、各クラスの必須科目となっています。柳生心眼流の敵を制する掛け声による気迫の激しさ、また、「素振り三年、刃の如し」といわれる肩を中心に遠心力で振り降ろす拳の当身の破壊力は、他の流派の追随を許さない武術といえます。さらに、左右の振りから連続して行われる当身拂いは、敵からの攻撃を封じる威力もあり、これらの博打が、柳生心眼流兵術の特徴なのです。また、この素振りの破壊力は、女性や子供、中高年の人にも実践の護身の術としても修得が充分可能な技といえます。当道場では練習時においても必ず、大きな掛け声をかけて稽古をしますが、これは敵の気概を挫くと同時に自らの気力を充実させ、最大のパワーを発揮するためのものでもあるのです。更に稽古を重ねることによって気迫を以って敵を倒す術も身につき、気力にともなって自然と体力もついてくるのです。佐藤金兵衛 翁が柳生心眼流を当道場の稽古の必須科目にしたことが門人諸氏にも理解できることでしょう。技は簡単であればある程、習得は難しく、厳しいものですが、門人諸氏は、佐藤金兵衛 翁の気迫と技を受け継ぐべく、しっかりと志を新たに更に稽古を継続してほしいと思います。


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